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【研究会】第5回『モダ研』のお知らせ(12/7)

モダニズムにおける日欧交流史研究会(モダ研)の第5回(12月7日)は、ヘレナ・チャプコヴァー先生(早稲田大学)をお招きし、「アントニン・レーモンドのインド‐レーモンド、G.ナカシマ、F.サンマーによる国境を越えたネットワーク プドゥチェリーのゴルコンデ宿舎の建築をめぐって」というテーマでご講演をいただきます。

モダ研は、どなたでも参加可です。

日時:2015年12月7日(月) 18:30~20:30
会場:日本大学理工学部駿河台校舎5号館5階 スライド室1

※ 研究会後、懇親会を予定しています。

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ヘレナ・チャプコヴァー先生(早稲田大学)
「アントニン・レーモンドのインド‐レーモンド、G.ナカシマ、F.サンマーによる国境を越えたネットワーク プドゥチェリーのゴルコンデ宿舎の建築をめぐって」

20世紀前半に、芸術的モダニズムの展望を通して、国籍を超えた関係やネットワークが伝統から抜け出し、新たなルートをどのようにして構築していったのか、というテーマをめぐってお話ししたいと思います。
1935年、アントニン・レーモンド事務所はインド・プドゥチェリーにあるアーシュラム・ゴルコンデ宿舎の設計依頼を受託しました。そして、日本人建築家であるジョージ・ナカシマ(スンダラーナンダ)が事前に現場視察を行い、1936年に基本設計を完成させています。さらに、このプロジェクトの主要なスタッフのひとりには、日本のレーモンド事務所に来るまでロシアのコルビュジエの下で働いていた、チェコ人建築家フランティシュク・サンマー(František Sammer 1907-73)がいました。
彼らによるトランスナショナル・ネットワークには、じつはミラ・リチャード(1878-1973)が関与しています。アーシュラムの指導者スリ・オーロビンドの霊的協力者であった彼女は、後に「偉大なる母(The Mother)」となり、プドゥチェリーにあるアーシュラム・コミュニティのリーダーとなった人物です。ゴルコンデ宿舎の設計はこの「偉大なる母(The Mother)」の、日本とフランスに於ける人脈が背景をなしていました。
アーシュラム・ゴルコンデ宿舎は近年、インドのモダニズムを代表する貴重な建築作品として、海外の建築専門家達によって知られるようになりました。

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【研究会】第4回『モダ研』のお知らせ(6/26)

モダニズムにおける日欧交流史研究会(モダ研)の第4回(6月26日)は、長谷川章先生(東京造形大学)をお招きし、「表現主義建築家ブルーノ・タウト-日本とドイツにおけるモダニズムの世界観」とのタイトルで、ブルーノ・タウトについてご講演をいただきます。

モダ研は、どなたでも参加可です。

日時:2015年6月26日(金) 18:30~20:30
会場:日本大学理工学部駿河台校舎5号館5階 スライド室1

※ 研究会後、懇親会を予定しています。

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長谷川章先生(東京造形大学)
「表現主義建築家ブルーノ・タウト-日本とドイツにおけるモダニズムの世界観」

日本近代に影響を及ぼした欧米の建築家たちのなかで、ドイツと日本で活躍したブルーノ・タウトに着目し、モダニズムの新たな側面を明らかにする。タウトは日本において桂離宮や伊勢神宮を再評価した建築家として知られている。興味深いのは、『画帖桂』(1934)の世界観のなかにドイツのモダニズムの本質を見出せることだ。日本から逆照射されたドイツに浮上するのは、1890年から1910年に認められる。特異なモダニズムの時代精神である。宰相ビスマルクが失脚して第二次世界大戦勃発にいたる、表現主義前夜ともいえるこの期間の社会では、政治や宗教が信頼を失い、ニヒリズムが支配していた。精神のよりどころを喪失した当時の芸術家たちの心へと浸透したのは、ネオ・ロマン主義あるいは神秘主義の世界観である。この時代精神を背景として生み出されたものこそ『アルプス建築』(1919)なのである。

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